開運と人助け

美功

前のページで「人助けは開運のもっとも最短コースだと思います」と書きましたが「装備」を手に入れる1番から4番には入っていません。
それには理由があります。
最短コースではあるけど、そのコースは誰にでもいける簡単な道ではないからです。
「急がば回れ」とことわざのとおり、急いでいこうとすると必ず失敗してしまう道なのです。

「助ける」というと、何か困っている人に働きかける状態をイメージしたとします。
例えば電車に乗った時に、お年寄りが立っているので席を譲るなどの親切はわかりやすいですね。
ケガをされている人、具合の悪そうな人、妊婦さんに譲るのもいいと思います。
そうした一般的にわかりやすい「人助け」をするのは難しくないので大丈夫だと思います。
でもまれにその申し出を断られることもあることもあると思います。
その時に、ガッカリしたり、気分を悪くするのは自分にマイナスです。
助けようとするのも自由なら、助けを断るのも自由なのですから。

こういうわかりやすい「人助け」でも、しばしば予想外なことが起きます。
もっとその人の個人的な事情や問題に関して助けることは、予測のできない事が起きる可能性があるということです。

世の中には「よかれ」と思いやったことが相手に通じず、かえって怒りをかうことがあります。
自分の「よかれ」と相手の「よかれ」が違うから起きるからなのですが、
人は基本的に自分本位なので、自分の良いも相手に良いと思ってもらえると思いがちです。
しかし贈ったプレゼントが相手に必ずしも喜んでもらえているかわからないのと同じように親切も同じ場合があるのです。

前のページで紹介した方位学についてなど予測のできない事が起きるかもしれない例の1つです。
相手が不審に思うかもしれない、私と疎遠にするかもしれない、もっと悪い事が起きるかもしれないと
少し考えすぎるくらいに想像しておき、もし万が一そうなっても「仕方ない」と割り切ろうと覚悟してのことでした。


もちろん受け入れてくれてくれる場合も想像はしていましたが。
世の中には、こういうこと一切を受け付けない人もいると知ってるからです。
しかし知っているだけで、実際に受け付け無い人に出会い、避けられたことが無いのでわかってるとはいえないからです。
「受け入れられない人がいる」と知っているので、余ほどの事が無い限り、他人には伝えないようにしていたからです。
せっかく親しくしている友人を失うかもしれないという危険を冒してでも方位学について話そうと思ったのには、
その前に他の友人のことで後悔したことがあり「何もしないで後悔するよりはしたほうがいい」と考えを改めたからなのですが。

そこから10年以上が過ぎましたが、相変わらず「人助け」は難しいと思います。
「人助け」や「親切」などは相手に「喜んでもらえる」のを期待してやるのではないということです。
見返りを期待せず、自分のできることで、最善を尽くすことのみだと思います。

運勢や運命を「船と航路」で例えました。
人にはそれぞれの特徴があります。姿かたちも違いますし、性格、好み、育ってきた環境など全く同じ人はいないと思います。
そして運勢も違います。(双子だと生年月日が同じで似ているところが多いかもしれませんが)

カヌーが客船を助けようとするのは物理的に無理というのはわかると思います。ひっぱろうとしても、相手の馬力に負けてしまいます。
それでもまれに助けられることもあるので、絶対に無いとは言い切れないのですが。

人助けはしないよりはしたほうがいいですが、無理はしない。
自分に見合ったやり方で、見返りを期待しないで行う。
それでこそ人助けの価値があるのかもしれません。
こんなことをわざわざ書かなくても、運の良い方は皆さん自然に行っているのだと思います。
私はながらく運が良くなくて、ずっと間違えていたのでわざわざ書いているのです。
今もわかっているのはこの程度です。

 

2012年02月23日14:22