先日、知人との話題です。
知人の家族は病気のため食事制限をしなくてはならないのに「あれが食べたい、これが食べたい」と結構煩いのだそうです。
私はつい「それって欲があるってことで、生きる意欲にあふれてるってことですよね」と言ってしまいました。
知人は「物は考えようよねえ!」と感心していたようでした。
その方も本当はおいしいものを病気のご家族に食べてもらいたいのですが、元気で長生きしてほしいと思っているからの食事制限です。
でも病気の家族本人は、病気に負けずに生きる意欲にあふれていると、そういわれると安心したようです。
「物事には別の側面があると、いつもすんなり出てくるよね」とも言っていました。
自分ではあまり気付いていなかったのですが、割とこんな風にネガティブな要素もついついポジティブに変えて考えるようなクセがついているようでした。
でもこのクセもただグチを聴いて欲しい人には、向いてないんですけどね。
共感してほしいのに、考え方を変化する言葉を聴いたら、がっかりするのかもしれません。
今はそんなタイプの私ですが、子どもの頃は、どちらかというとネガティブで悲観的でした。
それは家族にもそういう質の人がいますし、そういう傾向の家系でもあるということもですが、
用心深さも手伝って、いつも最悪な事態を想定して行動することが良いと思っていたのです。
しかし、家族や友人たちのネガティブな話につきあい、一緒にネガティブになるのは向いていなかった。
サーモスタット機能みたいなものがついているのか、一定のネガティブさを越えると自然にポジティブに変化するのです。
逆にポジティブすぎる場合も、同じかもしれません。一定の温度を越えるとニュートラルな状態に戻そうとするのかもしれません。
それに最悪を想定して準備した後は、あまりネガティブな想像はしないほうがいいのでしょう。
イメトレが台無しになるから。と今は明確に理解しているのです。
物事には必ず、裏表があります。
長所は短所の裏返しでもあります。
陰陽、光と影からは逃れられないのですね。
あざなう縄の如しのような出来事もあります。
どちらにしても、何事にもほどほどにということでもあるのかもしれません。
2012年6月18日